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高松高等裁判所 昭和30年(ネ)400号 判決

控訴人 牟岐線通運株式会社 外一名

被控訴人 一島数郎 外一名

主文

原判決を次の通り変更する。

控訴人等は各自被控訴人一島数郎に対し金三十五万千三百円及び内金三十万円に対しては昭和二十八年四月一日以降、内金五万千三百円に対しては同年五月一日以降夫々各完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

控訴人等は各自被控訴人一島キミヱに対し金三十万円及びこれに対する昭和二十八年四月一日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その一を被控訴人等の、その二を控訴人等の各負担とする。

本判決は被控訴人等勝訴部分に限り被控訴人等において控訴人等に対し夫々金十万円の担保を供するときは、仮にこれを執行することである。

事実

控訴人牟岐線通運株式会社代理人及び控訴人鎌田正代理人はいずれも、「原判決を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は、各控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

被控訴人等代理人において、

(一)  控訴人牟岐線通運株式会社(以下控訴会社と称する)は徳島市以南の貨物運送を業とする事業主体であるところ、控訴人鎌田は控訴会社よりその業務の一部(本件貨物自動車による運送事業)の委任を受け、少くとも本件事故発生当時迄右委任を受けた範囲において事業主体たる地位にあつたものである。而して控訴会社は控訴人鎌田に対しその業務の一部を委任すると共に営業名義をも貸与していたのであるから、本件貨物自動車による運送事業の執行中生じた被用者の行為について責任を負うべきは当然である(本件事故を惹起した運転手笠井正晴は控訴会社の被用者である)。また控訴人鎌田は委任の本旨に従い善良な管理者の注意を以て右委任を受けた事業を執行する義務を負うものであり、本件貨物自動車を運転する運転者につきその選任監督の義務を有するものであるところ、本件事故当時控訴人鎌田は訴外門条光に対し右事業の執行を委任していたものであるが、控訴人鎌田は右門条の事業執行につきこれを監督すべき地位にあつたものであり、右門条が臨時に雇入れた運転手笠井正晴が右事業執行中過失により第三者に加えた損害につきその責を免れることができない。

(二)  控訴人鎌田の後記(二)の主張に対し、該主張は時機に後れた防禦方法であり却下されるべきである。仮に然らずとしても右主張を争う。と陳述し、

控訴会社代理人において

(一)  本件事故を惹起した運転手笠井正晴は控訴会社との間に雇傭関係その他選任監督の関係がない。従つて右笠井正晴の行為につき被控訴人等が民法第七百十五条により控訴会社に対し損害賠償の請求をなすのは失当である。

(二)  仮に右笠井正晴が控訴会社の被用者であつたとしても、本件事故発生につき右笠井正晴には何等の過失がないから、控訴会社に損害賠償責任はない。即ち訴外一島武夫(本件事故の被害者)はかなり酒に酔つてふらふらしながら自転車を運転し、且つ道路の中央辺を進行(南進)していたために、これと平行して南進していた小型自動車(トヨペツト車)が右自転車が邪魔になり、道路の左側を進行することができず道路の右側を進行して来たため、本件貨物自動車の運転者笠井正晴は正面衝突を虞れて、最善の処置としてハンドルを右へ切つて右小型自動車を避けたのである。その際前記武夫の自転車は本件貨物自動車と右小型自動車との中間に挾まれた格好になつたが、右自転車が本件貨物自動車に衝突した形跡はなく、武夫が驚きの余り道路上に転倒して負傷するに至つたものと推察される。従つて笠井運転手には過失がない。

(三)  仮に笠井正晴に過失があつたとしても、前記一島武夫は(イ)当時酒に酔つて自転車に乗り(ロ)道路の中央を進行していたものであり且つ(ハ)右自転車は無燈火であつたのであるから、被害者に重大な過失があつたものというべきであり、損害賠償の額を定めるにつき右過失を斟酌すべきである。と陳述し、

控訴人鎌田正代理人において、

(一)  控訴人鎌田は、昭和二十六年十月三十日訴外林某より本件貨物自動車を買受け、これを所有していたものであるところ、同年十一月四日控訴会社との間に、(イ)自動車の所有権は移転しないが、自動車の所有名義を控訴会社に移転すること、(ロ)控訴人鎌田は控訴会社に対し自動車運送営業名義の借賃として一ケ月金一万円を支払うこと、(ハ)運転手及び助手の選任監督並に運送荷物の指示は控訴会社がなすこと、(ニ)運転手及び助手の給料並に自動車の修繕費等は控訴人鎌田が支払うこと、(ホ)控訴会社の指示する運送荷物以外は控訴人鎌田の方で運送業務を行つてよいことという内容の契約を締結したものであり(甲第十七号証参照)、右契約は業務のすべてを控訴会社が支配するという趣旨であつた。而して右契約に基き控訴人鎌田は訴外門条光を運転手として雇入れ運送営業を開始したが約一ケ月にして約八万二、三千円の赤字となり、この経営の成り立たないことが判明したので、控訴人鎌田は右事業の廃止を決意しその旨を右門条に告げたところ、門条より本件自動車を譲渡してくれとの申出があつたので、昭和二十六年十二月十一日控訴人鎌田は本件自動車の所有権を右門条光に譲渡し、爾後右門条が事業主兼運転手となつて控訴会社名義の下に経営を続けるに至つたのである。そこで控訴人鎌田は控訴会社に対し控訴会社との間の前記契約を門条光名義に切替えて貰いたい旨申入れたところ、控訴会社は契約者名義を門条に切替えることは他の運転手との関係もあり、都合が悪いから契約者名義は依然控訴人鎌田名義のままにしておいてくれとのことであつたため、契約者の名義変更はなされなかつたが、控訴会社は前記門条光が事実上事業をなし、控訴人鎌田は事業に関係がなくなつたことを認めていたものである。以上のような事情であるから、その後事業主兼運転手である門条光が自己の病気のため運転手として雇入れた笠井正晴において本件事故を惹起し、その事故が同人の過失に基くものとしても、控訴人鎌田には何等の責任がない。尤も当時控訴人鎌田と控訴会社との間の前示契約が未だ解約されていなかつたけれども、右契約は前叙の如く控訴人鎌田において控訴会社の指示する荷物以外の荷物についてこれを運送することができる権利を有すると共に、控訴人鎌田が控訴会社に対し名義借賃として月一万円を支払い、その他運転手助手の給料及び自動車の修繕費を支払う義務を有するのみであつて、事業一切の指揮監督は控訴会社の手にあるのであるから、控訴人鎌田は控訴会社の委託を受けて控訴会社に代つて事業を監督する立場にあるものでもない。従つて控訴人鎌田は民法第七百十五条第二項にいわゆる「使用者に代つて事業を監督する者」にも該当しない。

(二)  尚控訴人鎌田と控訴会社との間の前示契約は道路運送法第三十六条第三十八条等の規定に照しいわゆる脱法行為であつて、公序良俗に反し民法第九十条により本来無効の契約である。従つて右契約が有効であることを前提として控訴人鎌田に対し損害賠償の請求をなすのは失当である。と陳述し

た外原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

立証として、

被控訴人等代理人は、甲第一号証、同第二号証の一乃至三、同第三乃至第十五号証、同第十七号証、同第十八、第十九号証の各一、二を提出し、原審証人佐々木弘一、同中野勉、同坂東一、同出口幸夫、同上田一郎、原審並に当審証人若林芳太郎、当審証人高木金吾の各証言、原審並に当審における被控訴人一島数郎、原審における被控訴人一島キミヱ各本人尋問の結果並に原審における現場検証の結果を援用し、乙第一号証の成立は不知、同第二号証の成立はこれを認め且つこれを利益に援用する。丙第一号証の成立は不知と述べ、

控訴会社代理人は、丙第一号証を提出し、乙第二号証を援用し、原審証人斎藤剛、原審並に当審証人高橋勇、同田口才市、同竹原顕作、当審証人坂東一、同笠井正晴の各証言を援用し、甲第十二乃至第十五号証及び同第十九号証の一、二の各成立は不知、爾余の甲号各証の成立を認める、と述べ、

控訴人鎌田代理人は、乙第一、二号証を提出し、原審証人佐々木久男、同川人輝雄、原審並に当審証人門条光、当審証人笠井正晴、同高橋勇、同豊田正博の各証言並に原審及び当審における控訴本人鎌田正尋問の結果を援用し、甲号各証につき控訴会社との同様の認否をなした。

理由

訴外笠井正晴が昭和二十八年三月二十九日午後七時頃徳第一-二五三四号貨物自動車(以下本件貨物自動車と称す)を運転して徳島市論田町大江橋南方産業道路上を徳島方面に向つて北進していたことは本件当事者間に争がない。

而して右笠井運転手が前記大江橋南方約二百米の地点を時速約二十五粁で道路の中央より左寄り(西側)を北進中、その前方道路上約五十米の地点を道路の右寄り(西側)に小型四輪自動車(トヨペット車)一台とその左側を自転車一台(訴外一島武夫操縦)とが南に向つて進行して来るのを発見したこと、右笠井運転手はそのまま本件貨物自動車を進行させたが、右小型四輪自動車も依然進路を変えず進行して来たため、その距離約二十米に近接した際ハンドルを右に切り進路を右に変えたことは控訴会社の争わないところであり、控訴人鎌田に対する関係においては、成立に争のない甲第九号証並に当審証人笠井正晴の証言に徴し右事実を認めることができる。而して成立に争のない甲第二号証の一、二、同第九号証、原審証人中野勉、原審並に当審証人坂東一、当審証人高木金吾、同笠井正晴の各証言並に原審における検証の結果彼此綜合すれば、本件貨物自動車の運転手笠井正晴が前記の如くハンドルを右に切り、本件貨物自動車の進路を道路の右側に変え、前記小型自動車とすれ違つた際、小型自動車の左側を進行して来た前記自転車が本件貨物自動車の車体左側後部に衝突し(右自転車は本件貨物自動車と小型自動車との間に挾まれる格好となつた)、右自転車に乗つていた訴外一島武夫がその場に顛倒するに至つたこと、而して右自転車を本件貨物自動車に前記の如く衝突させるに至つたのは、右笠井正晴が本件貨物自動車のハンドルを右に切り前記小型自動車の左側(本件貨物自動車より見て道路の右側)通過せんとしたことに因るものであることを肯認することができ、原審並に当審証人竹原顕作の証言中右認定に牴触する部分は前掲各証拠と対比して措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠がない。かくて右一島武夫は前記衝突及び顛倒の結果顔面部剥脱創、頭蓋内出血、頭蓋底骨折等の重傷を負い、翌三十日午前十一時三十五分頃小松島赤十字病院において死亡するに至つたことは当事者間に争のないところである。

而して叙上認定事実に原審証人坂東一、当審証人高木金吾の各証言を考慮に容れて判断するに、貨物自動車の運転者が時速約二十五粁で道路の中央より左寄りを進行中、前方より道路の右寄りに小型自動車一台が、またその左側に自転車一台が進行して来るのを発見し、右小型自動車が依然進路を変えず進行して来て、そのまま近接すれば衝突の虞れがあるような場合、貨物自動車の運転者としては右小型自動車及び自転車の進行に細心の注意を払いつつ余り近接しない中に一旦自己の自動車を停車し、右小型自動車及び自転車を安全にすれ違わせた上運転をなし、以て事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるというべきであり、前叙認定の如く訴外笠井正晴がかかる措置を採らないでハンドルを右に切り漫然小型自動車の左側(本件貨物自動車より見て右側)を通過しようとしたのは同訴外人の過失であるといわなければならない。

控訴会社は、本件貨物自動車の運転者笠井正晴は前記小型自動車が道路の右側を進行して来たため正面衝突を虞れて最善の措置としてハンドルを右へ切つて右小型自動車を避けたのであり、右笠井に何等運転上の過失はないと主張するけれども、本件のような場合に貨物自動車運転者として採るべき措置は前叙説示の通りであり、右笠井に過失がないとはいえず、控訴会社の右主張は採用できない。

従つて前記一島武夫が前記事故に因り死亡するに至つたのは前記笠井正晴の過失に基因するものといわなければならない。

そこで本件貨物自動車の所有関係、本件貨物自動車による運送事業の主体、右運送事業の内部関係等の点につき検討する。控訴会社が牟岐線の貨物運送を業とする株式会社であることは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証の三、同第十七号証(貨物自動車運営契約書)及び乙第二号証、原審並に当審証人門条光の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、原審並に当審証人竹原顕作、同若林芳太郎、同高橋勇、同田口才市、同門条光、原審証人佐々木久男、同川人輝雄、当審証人笠井正晴の各証言並に原審及び当審における控訴本人鎌田正の供述を綜合すれば、本件貨物自動車は控訴人鎌田が昭和二十六年十月三十日訴外林某よりこれを買受けたものであるところ、自己の名義で貨物運送事業を営むことができないため、本件貨物自動車の登録名義を控訴会社に移した上同年十一月四日控訴会社との間に本件貨物自動車の運営に関し次のような内容の契約を締結したこと(以下便宜上控訴会社を甲、控訴人鎌田を乙と称す)、即ち(1) 乙は甲の指図権を確認すると共に甲の要請による輸送に関しては優先協力すること、この場合乙は運送賃の五パーセントを手数料として甲に支払うこと、(2) 甲は当該車輛(本件貨物自動車を指す)の乗務員を甲の従業員とし、甲の負担において社会保障保険に加入すること(但し甲の従業員としての他の恩恵は一切受けない)、(3) 乙は毎日の輸送状況を甲に報告すること、(4) 当該車輛に関する諸税及び負担中事業税、加盟店費、自動車税、道路損傷負担金は乙の負担とし、他は甲が負担すること、(5) 乙は甲負担の当該車輛諸費用として毎月金一万円を甲に支払うこと、(6) 甲の指図した以外の輸送並にその運賃回収等については一切乙の責任においてなすこと、(7) 車輛の保存、修繕及び運行に関する一切、資材の補給等は乙の負担において行うこと等の諸条項を契約内容としていたこと、ここにおいて控訴人鎌田は訴外門条光を運転手として雇い入れて、控訴会社の名義を使用して、本件貨物自動車により運送営業を開始したこと、然るところ、右事業開始後約一ケ月にして既に相当の赤字が出たため、控訴人鎌田は右事業に見切りをつけこれを廃止する決意をしたこと、然るところその際右門条光より本件貨物自動車を売却して貰いたい旨の申出があつたので、控訴人鎌田は昭和二十六年十二月十一日右門条に対し本件貨物自動車を代金五十万円で譲渡し(但し所有名義は依然控訴会社名義)、併せて控訴会社との間の前示契約上の地位を事実上右門条に承継させたこと(但し後に判示する如く控訴会社の承諾を得ていない)、かくて右門条光は訴外川人輝雄(同訴外人は門条の右自動車買受に際しその資金を出した)及び佐々木久男と共同にて本件貨物自動車を使用し、控訴会社名義を用いて運送事業を始めたこと(自動車の運転は門条がなす)、その後右三名は更に貨物自動車一台を購入し共同経営を続けたが、十分な利益を上げることができなかつたため、右川人及び佐々木は右後に購入した自動車を引取つて共同事業より手を引き、爾後は門条光が単独で事業主兼運転手として本件貨物自動車による運送事業を控訴会社名義で経営していたこと、而して右門条は昭和二十七年一月九日控訴会社より運転手の辞令の交付を受け、控訴会社の指図による貨物運送をなすと共に自ら貨物運送の委託を受けて運送事業をなし、日々の運送業務の内容は日報で控訴会社に報告していたこと、一方控訴人鎌田は前記の如く本件貨物自動車を門条に売渡し、自らは運送事業より手を引くことになつたので、控訴会社に対し控訴会社との間の前示契約における契約者の名義を右門条に切替えて貰いたい旨申出たのであるが、控訴会社側は運転手である門条との間に前記のような契約を締結することは都合が悪いからとて、右申出を拒絶し、控訴人鎌田と控訴会社との間の前示契約は解約されることなく、本件事故発生当時迄依然存続していたこと、本件事故は前記笠井正晴が本件貨物自動車を運転して宮浜村より空ドラム罐九本を積載して徳島市に帰る途中発生したものであるが、右笠井運転手は当時たまたま前記門条光が病気をしていたため、臨時に右門条に雇われていたものであつて、雇入後三日目に本件事故を惹起するに至つたものであること、而して本件貨物自動車は前記の如く控訴会社名義で登録され、車体の両側には「牟岐線通運」と横に大書され、何人が見ても控訴会社所有の貨物自動車であつて控訴会社がその営む運送事業につき本件貨物自動車を使用しているような外観を呈していたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠は存しない。

而して右認定事実により、(1) 控訴会社は控訴人鎌田に対し同控訴人が控訴会社名義を用いて本件貨物自動車により運送事業を営むことを許諾すると共に、同控訴人に対し控訴会社の運送業務の一部を委任していたこと、(2) 控訴人鎌田は営業開始後間もなく本件貨物自動車を右門条に譲渡して自らは事実上運送事業より手を引いたが、同控訴人と控訴会社との間の前示契約は未だ解除されていなかつたこと、(3) 本件貨物自動車の実質上の所有権は控訴人鎌田より門条光に移転していたが、その所有名義は控訴会社の名義となつていたこと、(4) 本件事故当時における実質上の運送事業の主体は門条光であつたが、表面上は控訴会社が本件貨物自動車により運送事業を営んでいるような外観を呈していたこと、(5) 本件事故は門条が臨時に雇入れた運転手笠井正晴において、控訴会社名義による運送事業の執行中その過失に因り惹起したものであること明らかである。

仍て叙上認定の事実関係に基き、控訴会社及び控訴人鎌田が本件事故につき民法第七百十五条により損害賠償責任を負うべきか否かの点につき考察する。

(1)  控訴会社の責任について。

凡そ他人に対し自己の営業名義を使用して或事業を行うことを許容した者はその事業につき自己が責任を負担すべき地位に立つ旨を表示したものに外ならないから、その名義の使用を許容された者またはその被用者が該事業の執行につき他人に与えた損害についてもその責に任すべきものと解するのが相当であり、かかる場合営業名義貸与者は民法第七百十五条の関係においては、いわゆる使用者と同一の立場に立つものといわなければならない。

本件の場合につき観るに、控訴会社は控訴人鎌田との間に本件貨物自動車に関し前示のような契約を結び、同控訴人に対し同控訴人が控訴会社の営業名義を使用して運送事業を営むことを許容すると共に控訴会社の運送業務の一部を委任していたものであること並に控訴会社と控訴人鎌田との間の右契約は本件事故当時迄存続していたこと前叙認定の通りであるところ、後に説示する如く本件事故当時控訴人鎌田は控訴会社に対する関係においては訴外門条光をして控訴会社名義による運送事業をなさしめていたものであり、門条光は控訴人鎌田の被用者と同一の地位にあつたものと認めるのが相当であるから、控訴会社は右門条が控訴会社名義を用いてなす運送事業の執行についても、控訴人鎌田との間の前示契約を解約していない以上右執行により第三者に加えた損害につき責任を免れることができないものといわなければならない。尤も本件事故は右門条が臨時に雇入れた運転手である前記笠井正晴の過失に因り惹起されたものであり、右笠井運転手は控訴会社との間に直接の雇傭関係の存しないこと控訴会社の指摘する通りであるけれども、控訴会社は控訴人鎌田に対し同控訴人が控訴会社名義を用いて運送事業をなすことを許容していたものである以上、控訴人鎌田の被用者と見るべき前記門条のなす運転手の選任並にその事業の執行についても控訴人鎌田を介してこれを監督すべき立場にあるものというべきであり、本件のような場合民法第七百十五条を適用する関係においては、前記笠井正晴もまた控訴会社の被用者と同一の地位にあるものといわなければならない。従つて控訴会社は前記笠井正晴が控訴会社名義による運送事業の執行につき第三者に加えた損害につきその賠償責任を有するものというべきである。

(2)  控訴人鎌田正の責任について。

控訴人鎌田は控訴会社との間に前記のような契約を締結して本件貨物自動車により控訴会社名義を使用して運送事業を始めたものであるが、事業開始後約一ケ月にして本件貨物自動車を運転手である訴外門条光に譲渡し、控訴会社との間の前記契約上の地位も事実上右門条に承継させて、自らは運送事業より手を引いたものであることさきに認定した通りであるが、控訴会社は前記契約における契約者の名義を右門条に切替えることを承諾せず、控訴会社と控訴人鎌田との間の前記契約は解約されることなく依然存続していたことも前叙認定の通りであるから、控訴人鎌田は事実上自己の運送事業を廃止した後も控訴会社に対する関係においては依然前記契約の契約当事者たる地位即ち控訴会社の営業名義を借り受けている地位にあつたこと明らかである。従つて控訴人鎌田が本件貨物自動車を門条に譲渡し、同人が自己の計算において運送事業を始めるに至つたとしても、控訴人鎌田は控訴会社に対する関係においては、自己の責任において右門条をして本件貨物自動車により控訴会社名義の運送事業をなさしめ、また控訴会社の委託する運送業務についてはこれを更に右門条に再委託した関係に在るものといわなければならない。そうだとすれば、控訴人鎌田としては控訴会社との間の前記契約を解約していない以上、控訴会社に対する関係において門条が本件貨物自動車により控訴会社名義を使用してなす運送事業の執行(運転手の選任等も含まれる)につきこれを監督すべき立場にあつたものといわなければならない。而して控訴会社は控訴人鎌田に対し営業名義を貸与していたものである以上、右営業名義を使用してなされる事業につき民法第七百十五条の関係においては使用者の立場に立つものと解するのが相当であること前叙説示の通りであるから、本件の場合控訴人鎌田は民法第七百十五条第二項にいわゆる「使用者に代つて事業を監督する者」に該当するものということができる。従つて門条に雇われていた前記笠井運転手において、控訴会社名義による運送事業の執行中その過失により第三者に損害を与えた場合においては(笠井運転手が結局控訴会社の被用者と同一の立場にあることについては前叙説示参照)、控訴人鎌田は民法第七百十五条第二項により右第三者に対し損害賠償の責を免れることができないものと解するのが相当である。

控訴人鎌田は、本件貨物自動車を門条に譲渡して後は運送事業に関係がなかつたのであるから、本件事故につきたとえ笠井運転手に過失があつたとしても、控訴人鎌田において責任を負うべき筋合でないと主張するけれども、右主張は叙上説示に照し採用し難い。

また控訴人鎌田は、同控訴人と控訴会社との間の前示契約が解約がされていなかつたとしても、控訴会社名義を使用してなす運送事業一切の指揮監督は控訴会社の手にあつたのであるから、控訴人鎌田は控訴会社に代つて事業を監督する立場にあるものではないと主張するけれども、前記認定の如き事実関係である以上控訴人鎌田も控訴会社に代つて控訴会社名義を用いてなす運送事業につきこれを監督すべき立場にあるものと見るのが相当であること前叙説示の通りであるから、右主張も採用できない。

尚控訴人鎌田は、控訴会社との間に締結した前示契約は道路運送法第三十六条第三十八条等の規定に照しいわゆる脱法行為であつて、民法第九十条により本来無効の契約であると主張するにつき審按する。先ず右主張に対しては被控訴人等代理人において時機に後れた防禦方法であるから却下されるべきであるとの申立がなされたけれども、右主張は特に新たな証拠調等を必要としないものであつて、必ずしも訴訟の完結を遅延させるものとは認め難いから、右却下すべきであるとの申立は理由がなく、これを排斥することとする。仍て控訴人鎌田と控訴会社との間の前示契約が私法上無効であるか否かにつき考察するに、道路運送法第三十六条第一項は「自動車運送事業者はその名義を他人に自動車運送事業のため利用させてはならない」旨規定して居り、控訴会社と控訴人鎌田との間の前示契約はその契約内容に照し右法律の規定の適用を免れるために締結されたような観を呈しているけれども、右道路運送法の規定はいわゆる取締法規であつて、これに反する契約が私法上直ちに無効であるとはいえないのみならず、控訴人鎌田は控訴会社との間に前記のような契約を締結しておきながら、該契約の無効を主張して、本件不法行為に基く責任を免れることは許されないものというべきである。従つて控訴人鎌田の前記主張は採用の限りでない。

これを要するに、前記笠井正晴が控訴会社名義による運送事業の執行中その過失に因り前記一島武夫を死亡させた本件事故につき、控訴会社も控訴人鎌田も前叙説示の如き理由により損害賠償の責任を免れることができないものといわなければならない。

仍て進んで損害賠償の額の点につき審究する。

本件事故の被害者である訴外一島武夫は死亡当時満十八歳であつたことは成立に争のない甲第六号証によりこれを認めることができ(本件記録中の戸籍謄本によれば、武夫は昭和九年十一月二十一日生)、また右武夫は新制中学卒業後家業たる農業を手伝い、一年の中約五ケ月位(農閑期)は他へ働きに行つていたこと、本件事故当時は樋門の水利工事に傭われ、日当三百円の支給を受け、一ケ月の平均就労日数は二十五日であつたこと並に右収入の中より自己の生活費等として一ケ月金二千五百円を費消していたことは原審証人出口幸夫の証言により真正に成立したものと認められる甲第十四号証、同証人の証言、原審における被控訴本人一島キミヱ、原審及び当審における被控訴本人一島数郎の各供述並に弁論の全趣旨に照しこれを認めることができ、右認定を左右するに足る資料は存しない。然らば右武夫の一年間における総収入額より生活費等を控除した純収益は、一ケ月金五千円の割合によりその五ケ月分に相当する金二万五千円であると認めるのが相当である(被控訴人等は、右武夫が一年間を通じて日当三百円の割合による収入を得ていたものとして、同人の得べかりし利益額を算出しているけれども、同人が他へ働きに出て収入を得ていたのは農閑期だけであること前記認定の通りであるから、被控訴人等主張の得べかりし利益額をそのまま容認することができない)。而して普通労働者が日給を得るため労働し得る年齢は大体五十五歳までであることは顕著な事実というべきであるから(満十八歳の男子の平均余命が右五十五歳をはるかに超えることは成立に争のない甲第十八号証の二によつても明らかである)、右武夫は若し本件事故がなければ爾後三十六年間余り労働に従事して収入を得ることができたものといわなければならない。従つて右武夫は本件事故以後三十六年間毎年金二万五千円宛の利益を得べかりしであつたに拘らず、本件事故のためこれを得ることができなくなつたのであるから、右と同額の損失を受けたものというべきである。本件においては被控訴人等は、右武夫が本件事故以後三十五年間就労し得たものとして、得べかりし利益喪失による損害を請求しているから、右請求の範囲内において損害額を算定するに、右武夫が本件事故以後三十五年間毎年得べかりし利益金二万五千円(総額八十七万五千円)を事故当時においてこれを一時に請求するものとして、その金額をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出するときは金四十九万七千九百三十六円(円未満切捨)となること算数上明らかである。また本件衝突に因り右武夫所有の自転車が大破し、その修理に金五千三百円を要する損害を受けたことは原審及び当審における被控訴本人一島数郎の供述及び右供述により真正に成立したものと認められる甲第十二号証によりこれを認めることができる。従つて訴外一島武夫は訴外笠井正晴の前記過失により右合計金五十万三千二百三十六円の損害を蒙つたものといわなければならない。

控訴人等は、仮に控訴人等において損害賠償責任があるとしても、訴外一島武夫はかなり酒に酔いながら自転車に乗り無灯火で道路の中央を進行していたものであつて、被害者たる右武夫にも重大な過失があるから、右過失は本件損害賠償額を定めるにつき斟酌されるべきであると主張するにつき検討する。訴外一島武夫は本件事故当夜その雇傭主である訴外出口幸夫の振舞酒により他の人夫達と共に飲食店で飲酒した事実は原審証人出口幸夫の証言により明らかであるけれども、右武夫がその際飲酒した量は少量であつて、同人の平素の酒量からすれば未だ酩酊する程度に至つていなかつたことも右原審証人出口幸夫及び原審証人上田一郎の各証言に徴しこれを認めることができ、また原審並に当審証人竹原顕作、当審証人笠井正晴の各証言を以てしても、右武夫が酒に酔つて自転車に乗つていたものと認定するに未だ十分でなく、他に右事実を認めるに足る証拠がない。次に右武夫が自転車で道路の中央を進行して来たとの点については、成立に争のない甲第二号証の一、二、原審並に当審証人竹原顕作、同坂東一、当審証人笠井正晴の各証言を綜合すれば、右武夫は自転車で前記道路のかなり中央に近い辺り(但し左側)を進行して来た事実を窺うことができるけれども、右事実は未だ同人の過夫であるとは目し難い。しかし原審並に当審証人竹原顕作、同坂東一、当審証人笠井正晴の各証言を綜合すれば、右武夫は無灯火で自転車を走らせていた事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠がない。而して夜間無燈火で自転車を進行させていたことは道路交通取締法規に違反することはいうまでもなく、さきに認定した本件事故発生の状況に照し、右武夫の乗つていた自転車が無燈火であつたことが本件事故発生に全然影響を及ぼしていないものとは認め難いから、本件事故は右無燈火の点につき被害者たる右武夫にも幾分の過失があつたものといわなければならない。そこで損害賠償額の算定につき右被害者の過失を斟酌するときは、右武夫の蒙つた前記損害額金五十万三千二百三十六円はこれを金四十万円に減額して、控訴人等にこれを賠償させるのが相当であると認める。

次に被控訴人一島数郎は、武夫の葬式費用として金三万千三百円を、また同人の墓碑建設費用として金二万円を夫々支出したものであることは、原審及び当審における被控訴本人一島数郎の供述並に右供述により真正に成立したものと認められる甲第十三、第十五号証に徴しこれを認めることができ、右は前記笠井正晴の不法行為(本件事故)に因り被控訴人一島数郎の蒙つた損害であるということができる。また前記一島武夫は被控訴人両名の間に生れた二男であること、被控訴人等の長男は戦死したため、右武夫が一島家の後継者であつたことは、原審及び当審における被控訴本人一島数郎の供述に徴し明らかであり、被控訴人一島数郎は父として、同一島キミヱは母として、右武夫を失つたことにより精神上非常な打撃を蒙つたことはこれを窺うに難くなく、その他弁論の全趣旨により窺える諸般の事情を参酌すれば、被控訴人両名が控訴人等に対し本件不法行為により右武夫の生命が侵害されたことに対する慰藉料として各金十万円の請求をしているのも相当であるといわなければならない。

而して右一島武夫は配偶者も直系卑属もなくして死亡し、被控訴人両名が右武夫の父母として同人を相続したことは、原審における被控訴人両名各本人尋問の結果に徴して明らかであるから、被控訴人両名は武夫が前記の如く取得した金四十万円の損害賠償請求権をその相続分に応じ平等の割合で(即ち金二十万円宛)承継取得したものというべきである。

然らば結局控訴会社及び控訴人鎌田は各自、本件不法行為による損害賠償として、被控訴人一島数郎に対し右(イ)相続による金二十万円、(ロ)慰藉料金十万円、(ハ)葬式費用及び墓碑建設費用合計金五万千三百円、総計金三十五万千三百円並に内金三十万円(右(イ)及び(ロ)の分)に対しては本件不法行為の後である昭和二十八年四月一日以降、内金五万千三百円(右(ハ)の分)に対しては損害発生後である同年五月一日以降夫々各完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を、また被控訴人一島キミヱに対しては右(イ)相続による金二十万円、(ロ)慰藉料金十万円、合計金三十万円並にこれに対する本件不法行為後である昭和二十八年四月一日以降完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものと断じなければならない。

仍て被控訴人等の本訴請求は右認定の限度において正当であるからその部分を認容すべきも、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、右認定と一部異る原判決は変更を免れない。そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を夫々適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石丸友二郎、浮田茂男、橘盛行)

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